以前書いたブログに加筆、修正を加えたものを記載します
2年前に患っていた子宮筋腫(現在再発してますけど)の記事をはてなブログのほうに
転載したいと思います。
子宮筋腫の患っていらっしゃる方もそうでない方も、少しでもお役に立ててばいいなあ
と思います。とはいえ、もう2年前のお話なので更に医学は進歩しているかもしれないですね^^;;
以下~2015.4.4の記事~
覚悟決めると、あとは、もうさっさとちゃっちゃと、っていう性格なので
『手術の予約をしないと!』ということで、病院にいってきました。
まずはMRIの予約。
MRIは過去に2度ほど経験があるので、私は閉所恐怖症や造影剤も問題なかったので
『どんとこい!』って感じです。
しっかり子宮筋腫を撮影して、いい形で手術につながればいいな。と思います。
MRIの予約は最短日で予約がとれました。
4月某日、半日休にて。その後また半日休で、結果を聞きにいきます。
手術の日程も・・・自分が希望する日がドンピシャで予約できました^^
仕事の都合上、月末の〆、月初の支払いをやってから、入院【手術】の流れにしたかったので・・・
6/30 月末〆
7/1~2 月末のまとめ~
7/3 支払日
7/4(土)~ 入院
7/6 手術~ 約7日~10日で退院、自宅療養。
7/21 勤怠〆日(この日数時間だけ出社予定)←結局お休みいただきました。
7/29~ このあたりに復帰できたらいいな^^
という予定です。
ポイントは7/4(土)に入院というところ^^
もともと、7/3までは仕事がしたかった点+7/4が土曜と言う点。
傷病手当の請求をする予定なので、土曜から休むのが有給を一番使わずに
すむ方法(?)のはず。。
3日間は傷病手当の待機期間のため4日目からしか対象にならないのです。
土日+1日有給で待機が完成するので、一番いいタイミングで入院できます^^
まさか自分の傷病手当の申請をやることになるとは・・・^^;;
しかし仕事上でやってたのでそれなりに知識を持っていてよかったと感じます。
7月はほんとカレンダーもいいカレンダーだったなあ^^
担当医の先生が、ちょうど月・金が手術日だったのが功を奏しました!
先生ありがとう!
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ここからはメンタルの話なんですが、
正直、生まれてはじめての入院、手術・・・不安でいっぱいです。
なんとなく、病院に入院するなんて、きっと出産でもするとき位だな。と思ってましたが^^;;
まさかこんな形で手術を伴った入院をすることになるとは思ってもみなかったです。
2015.4月の気持ちを自分なりに今振り返ってみる
当時はまだ結婚の「け」の字もなかった頃で、バリバリ仕事してバリバリライブに行って
自分好きなことを最大限にやっていた時期でした(結婚した今もそうですけど)
「子宮筋腫」は20代後半に健康診断にて指摘を受けました。
年齢がちょっとばれますが(笑)ずっと経過観察で乗り切ってきていたんですが、
3月に健診を行った際、先生から「結婚、出産の希望はありますか?」と突如問われました。
すでにアラフォーな私にはとても痛い一言でした。
漠然とではありますが、結婚も出産も希望はしていましたので、「希望はありますが現在は予定はありません。」と答えました。
その時に心臓が痛いほどに脈打ったのを今でもはっきりと覚えています。
先生は淡々と「今の年齢と子宮筋腫の大きさを考えれば手術をしておいたほうがいいです。いざ、妊娠を希望しても現状ですと妊娠の可能性はほぼありません。仮に妊娠したとしても赤ちゃんが育つスペースがありません。」とバッサリ言い放たれました。
「手術をお願いします」とすでに言葉を発する自分がいました。
不思議なもので、怖いな。とか嫌だな。とかいう気持ちは一切なかったです。
一番怖かったのは「今の状況だと妊娠の可能性がほぼない」と告げられたことでした。
少なからずショックでした。
予定はないけれど、「妊娠できる体になるために」子宮筋腫の手術をすることになりました。
毎年健診をうけていましたが、ずっと経過観察が突如として「手術」になるわけです。
もちろん私が妊娠を希望していなければ、このまま経過観察でもよかったし、子宮全摘出の選択肢も出てきていたようです。
それくらいに私の子宮筋腫は大きく育っていたようです。
(貧血も頻繁になりましたし生理痛も重かったのでここが年貢の納め時だったのかもしれないです)
将来のことを考えるいいきっかけをくれた出来事でした
今思うと、このときの先生の一言で私の人生が大きく変わりました。
なんだかんだで実家でぬくぬく(笑)と過ごして、仕事して、好きなことをして、
という無限ループのような生活をおくっていましたので。
親からも口うるさく「はやく、結婚、はやく結婚」といわれている時期でもありました。親以外の人間から「このままだと妊娠しませんよ」と告げられたのはなかなかの出来事でしたので、この出来事で私の結婚への道筋が開けたといっても過言ではないかもしれないです。